瀬戸内国際芸術祭の発端

瀬戸内国際芸術祭が開催される瀬戸内海の島。何度も足を運んでいるのに、その発端に目を向けたことがありませんでした。国立公園認定から始まり、世界に認められる芸術祭が誕生するまでの経緯をまとめてみます。

はじまりは1960年の直島

1934年に瀬戸内海が国立公園として認定されて以来、戦前・戦後にかけて既に瀬戸内海における観光地化の動きは存在していたようです。直島でも、観光客を集めようと展望台やホテルなどの建設が行われていました。

その流れは、1959年に直島の町長に就任した三宅さんが、「北の製錬所、南の観光」という政策の2本柱を掲げたことによって徐々に大きくなっていきます。

※三宅さんは1959~1995年の36年間にわたって直島の町長を務めた方です。
※製錬所は「三菱マテリアル(三菱合資株式会社)」のこと。1919年、財政に苦しんでいた直島によって誘致されます。誘致によって島の財政はものすごい潤い、人口も7千人まで膨れ上がりました。その半面、製銅プロセスが見直される1970年代まで煙害に悩まされることにもなります。

そして1960年、椿山荘やワシントンホテルを経営する藤田観光が直島に進出し、1966年に「フジタ無人島パラダイス」がOPENしました。当初は多くの観光客が訪れ、船の臨時便が出るほどだったようです。しかし、徐々に客足は遠のき、1987年に観光開発がストップします。

三宅さんが観光地化の構想を描いてから既に28年。はじめから上手くいっていたわけではなかったんですね。

1987年ベネッセが参入

1985年、三宅町長はベネッセと繋がりがあった甥を通じてベネッセ(旧福武書店)の創業者、福武さんと会談し、直島開発について意見を交わし合います。

1986年、福武さんが急死したあと、息子の福武總一郎さんが想いを引き継ぎ、1987年に藤田観光から土地を譲り受けて開発を進めていきます。

1989年に直島国際キャンプ場がOPEN

直島国際キャンプ場

写真出典:ベネッセアートサイト直島「ベネッセアートサイト直島の歴史-直島国際キャンプ場-

驚きの風景です。ベネッセハウスの公園に、パオが立ち並んでいたなんて。。。

このキャンプ場立ち上げを契機に、ベネッセ主導のアート展開は加速していきます。

▼主な企画展
1994年:「OUT OF BOUNDS」展
1998年:「家プロジェクト」開始
2001年:「スタンダート」展
2006年:「直島スタンダート2」
2010年:「犬島 家プロジェクト」開始

▼主な作品・美術館
1994年:南瓜(黄かぼちゃ)
1998年:家プロジェクト 角屋
2004年:地中美術館
2008年:犬島精錬所美術館
2009年:直島銭湯「I♥湯」
2010年:心臓音のアーカイブ
2010年:豊島美術館

南瓜が1994年(今から23年前)からあることにびっくり。まさしく直島を象徴する作品。

あと、角屋の作品に直島の人々が関わったことが「直島と現代アートを繋ぐきっかけになった」と、ボランティアのおじさんに聞いたことがありましたが、その理由がよくわかりました。

藤田観光の事業が停止した1987年から角屋が完成する1998年まで、たったの10年しか経っていません。町の人々が「現代アートっていうよくわからんもんが入ってきた」と強い疑念を抱いていてもおかしくありません。

その時にアートに触れるきっかけを作ったのは、双方にとって大きな出来事だったのかも知れません。

アートネットワーク構想

2005年、ベネッセ側から5年毎に複数の島々を会場とする「瀬戸内アートネットワーク構想」が発表されます。同時期に、香川県の職員から「アートアイランド・トリエンナーレ」が提唱されます。

ベネッセ・福武財団と香川県は2008年に実行委員会を設立し、2年をかけて準備を進めていきます。

この時期のことが語られることはあまりありませんが、様々な思いが交錯していたんではないかと思います。

なぜなら、管轄としては「香川県の直島」ですが、地理的にはあきらかに岡山寄り。そして、ベネッセは岡山の企業です。また、慢性的な水不足に悩む直島に「海底導水」で水の安定供給を行っているのも岡山県の玉野市。

直島の人の中には、香川県よりも岡山県との繋がりが大切と感じている人も多く、すんなりと香川県による政策を受け入れられないこともあったと思われます。

それでも、歴史的なイベントの開催に向けて両者が歩み寄っていったのは、「島を元気に、文化的に」という強い想いがあったからでしょう。これまでの経緯を見ても、よく開催に至ったものだと感心してしまいます。

2010年に芸術祭開催

直島の町長、三宅さんが夢を思い描いてから51年。様々な問題や挫折を乗り越えて、ようやく世界に誇る芸術祭が開催されます。

日本各地で様々な地域活性化プロジェクトが失敗に終わっている中、瀬戸内国際芸術祭は大きな成功を収めていますが、決して運が良かったなんていうものではありません。

多大な時間と労力、そして強い決意があったからこそ、手に入れた成功だったのです。

今後の瀬戸芸

2016年、3度目の瀬戸内国際芸術祭も多くの観光客が訪れて、大変な盛り上がりをみせていました。次の2019年も、日本中、そして世界各国からたくさんの人が訪れるはずです。

個人的には、次の芸術祭は今までと少し異なったテーマを持つんじゃないかと思っています。それは、2017年3月に豊島の産廃問題に終止符が打たれる予定だからです。

1987年から始まった豊島の産廃問題は、2000年に香川県知事謝罪の上で調停が結ばれ、1日300トンもの処理を進めています。処理には直島の三菱マテリアルも協力しているため、豊島問題が一旦終結する2017年は、直島・豊島にとって重要な年になりそうです。

その後に開催される2019年の瀬戸内国際芸術祭。アーティストたちがどんな作品をみせてくれるのか、楽しみです。